『わたしのウチには、なんにもない。』は、間違いなく私の人生を変えた1冊
「自分の人生を変えた本を3冊教えて」と言われたら、何の本を選ぶか。たまにそんなことを考えたりします。
小さい頃から繰り返し読んだ絵本、シルヴァスタインの『大きな木』や、佐野洋子の『100万回生きたねこ』では無償の愛について考えさせられています。小学生の頃に読んだプロイスラーの『小さい魔女』も児童文学ながらに自分で買い直してしまった1冊。中学生の頃には西尾維新の『クビキリサイクル』から始まる戯言シリーズで言葉と思想に耽り、貪るように読書してました。全然系統は違いますが、高校で大失恋をくらった私は蝶々の『小悪魔な女になる方法』を読んで、女性のモテとは何かについて人間観察をし続けたりもしました(笑)
会社員で後輩の指導に困った時に読んだ石田淳の『教える技術』も道を拓けたし、インスティチュートの『自分の小さな「箱」から脱出する方法』も面白かったです。その他にも文学系で色々出逢いがあり、山崎ナオコーラの『論理と感性は相反しない』や、漫画なら池辺葵の『繕い断つ人』、安達哲の『バカ姉弟』シリーズも大好きで、絶対手放したくないほどです。
そんなちょいちょい本を読んできた私ですが、その中でも「自分の人生を変えた本」として挙げたい。ゆるりまい『わたしのウチには、なんにもない。』。
シンプルライフを目指す方や、ミニマリストの方々の中ではもはやレジェンド的存在かと思うのですが(笑)。『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』の中で佐々木典士さんも引用したりしてましたもんね。私たぶん今後も本棚から撤去しないです。
私の人生は、このコミックエッセイ1冊で間違いなく変わりました。
以前の記事でもちらりとご紹介したように、我が実家はモノで溢れています。
別に害虫やカビがあるわけではありませんし(気づいていないだけかも)、明らかなゴミ(食べかけの何かとか)があるわけではないんですが、とにかく物量が凄い。
お風呂には使いかけのシャンプーのボトルがいくつもある。文房具は色々なところにあって見つからない。掃除をしようにもモノをどかさないといけない。冷蔵庫の中はぎっしり詰まっている。来客は大ごと。リビングの腰高の本棚の上には細々色々詰んであるのに、その本棚の扉を開けるともう何年も動いた形跡がない本がすかすかに並んでいる。立派な桐の嫁入り箪笥の中には着ているのを見たことのないセーターが防虫剤の香りを漂わせたまま鎮座している。自分の部屋のゴミを捨てたら母親がその中から「まだ使えるじゃない」といって救出活動を始める……等々。
でもそれが「当たり前」だと思っていたんですよね。なんとなく嫌な気がしてるけど、世の中そんなものだと思っていました。「片付けなさい」と言われるけど、片付けって移動して収納することだと思っていたし。
……という私の生い立ち。そういう意味でもゆるりさんには親近感を感じたのでしょう。このコミックエッセイを読んだ時、一人暮らしの家で、私は一人衝撃を受けたのでありました。こんまり先生のように生粋のキレイ好きからは教わる感覚ですが、ゆるりさんの場合は、まるで自分の人生を辿るような、追憶の感覚になります。
本屋さんで見つけて読んだの2013年初旬。そこから私のモノに対するスタンス、家に対するスタンスは、ゆるゆると変わり始めました。劇的に、ではなく、ゆるりさんが徐々に変わっていったように、徐々に。
あれから5年経ちました。もしこの本を読んでいなかったら、私の家は実家と似たようなままだったかもしれないし、会社のデスクもとっ散らかったままで、産休の引き継ぎも困難を極めていたことでしょう。整理収納の勉強をすることもなかったし。そして今、こんなブログを書くこともなかったと思います。
ちなみに我が夫は生粋のミニマリスト気質なのですが。彼にこの本を読ませてみたら、一切共感できるポイントがなく面白くなかったとのことでした(笑)
私のようにモノに溢れた家出身の人は読んでみると面白い。そうやって琴線に触れた人に影響力がある本なんだと思います。学校の図書室とかに置いてみてほしい1冊です。