おうちのモヤモヤ退治

余白がほしい

モヤモヤを退治したくて。家や服のことなどを。

後ろめたい記憶があると、なんとなく処分しずらいという話。

今回、私の中でずーーーーっと保留にしていたものを手放しました。

半纏です。

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そう、半纏です。え、半纏?って感じですよね。学生の頃に買ってもらって、ずっと持ち続けていました。そんなに着ないし、綿入りなので当然ながら収納場所もとる。普段の私なら真っ先に処分してしまえなのですが……ずっと持ち続けていました。

 

なぜか。

買ってもらった時の、後ろめたい気持ちがあったから。

 

***

 

以下、どうしようもない昔話です。

高校生だか大学生だったか。当時、私はまだ反抗期でした。中学生の頃のほぼ口をきかないよりはましでしたけれど……両親との仲が超良好ではなかった頃、でしょうか。あんまり笑って会話した記憶がありません。自分の中で笑顔で親と会話したくないお年頃でした。

 

さて。

今も当時も私は生協のカタログを見るのが好きで、その日もリビングでペラペラとめくって読んでいました。毎回、母親が「何か欲しいものある?」と聞いてきては「別にない」と素っ気ない返事を返していた私。でもその日のカタログに、あったのです、この半纏が。久留米織のもので、表地が綿でできています。表地が化繊だと、最初に着た時にひんやりしてしまうのですが、表地が綿だと最初から暖かい。確かそう本で読んだちょっと後だったんです。おっと綿の半纏だぞ、と。

 

この半纏は、確か6,000円位しました。生協カタログの中では高値です。というか当時の私からしたら高価でした。だから絶対ダメだと言われると思いつつ、半分わざと言ってみたんですよね、半纏が欲しいと。

 

そうしたら、買ってくれたんです。

 

怪訝な顔してましたけれどね。普段何を言っても「別に要らない」しか言わない娘が「欲しい」と言ったのが嬉しかったのかもしれません。想像ですけどね。私の中では、なんか拍子抜けした印象でした。それもあってこの半纏には、なんとなく後ろめたい記憶がありました。

 

ちなみにこの半纏は本当に暖かくてよく着ていました。一人暮らしの時にも部屋で着込んでました。いい半纏でした。

 

でも、結婚して子供も生まれて。家事をする中で、この半纏のゆったり袖、まくれないんです。ご飯作ったり、お茶碗洗ったりする時に、まくれない。これは家事をするには致命的でした。次第にモコモコのパーカーや、ウルトラライトダウンを着て家事をするようになりました。去年は1回も着なかった。

 

でも捨てられなかった。後ろめたかったから。ああやって買ってもらったモノを捨てるだなんてとても気まずかったんです。

 

***

 

思い出話が長くなってしまいました。とにかく私の中では、後ろめたくて、捨てられなかった半纏。でももういいんじゃないかなと、心の中で踏ん切りがつきました。記憶も思い出も一旦脇に置いて、ただの服としてどうか。稼働できているか。愛用できているか。そう考えて、手放すことを決めました。

 

これでもうその記憶ともおさらばです。とは残念ながらなりません。私のことだからきっと世の半纏を見る度に思い出すでしょう。自分の、現物がなくたって記憶は消えません。

 

でもそんな記憶にばっかり付き合って、昔話ばっかりに縛られている必要は、ない。見るべきは今、もしくは確定的な未来。なんとなく処分しずらく時間はかかってしまったけれど、今の自分と照らし合わせて手放すことができました。いままで温めてくれて有難う。ね。