大切なのは「ミニマリストである」ことではなく、自分がどうありたいか
年末くらいからだったか、「ミニマリストではなくシンプリスト」というフレーズをちょくちょく耳にするようになりました。
その時は失礼なことに「ふーん、そろそろミニマリストは商業的に美味しくなくなってきて鞍替えなのかな」と思っていたのですが、ここ最近は更に「ミニマリストやめる」が増えているようです。特に結構人気のブロガーさんやYouTubeチャンネル持ってる方で相次いでいるように思えます。
理由を見てみると、「ミニマリストであることが手段ではなく目的となっていて、自分を縛ってしまっていた」というものが多かったです。「これ欲しいけど、ミニマリスト的にはモノが増えるからダメかな」とか、「ミニマリストが掃除機持ってちゃダメだよね」とか……。
持ち物をミニマルにすることによって、物の管理を減らして楽になる。視覚的にもすっきりする。自分が楽するためのミニマリストなのに、自分を縛って苦しくなっている。だからミニマリストを名乗ることをやめる。
これってきっと、「ミニマリストでいることに疲れた」訳じゃなくて、「ミニマリストとして振舞うことに疲れた」んだと思う。
自分が「ミニマリストでありたい」と思ったとしても、それって別に自分の中のスタンスであればいいだけで、宣言したり自分を規定したりする必要って、本来ないはずなんですよね。宣言したとしても、プライベートなお友達付き合いの中だったらすんなり変えられるのに。このあたりは見せ方を意識せざるを得ないSNSの弊害なのかもしれません。
自分がどうありたいのか。どういう目的でモノを減らしたいのか。その辺を軸に持っていれれば、フレキシブルに暮らしていけます。今のライフスタイルに合わせて変わっていくことは、決して悪いことではないのだから。
ちなみにこの話を生粋のミニマリスト夫にしたところ「ミニマリストをやめるの意味がよく分からん」と一刀両断されました。はいはい。
私自身は「ミニマリストのエッセンスを取り入れつつ、自分がすっきり楽に心地よく生きるためにしくみを改善していきたい」がスタンスです。そもそものきっかけは物欲の塊でもあるゆるりまいさんですしね。あまりミニマリストという単語やらシンプリストという単語に拘りはありません。楽にゆるゆると進んでまいります。