好きなモノは、買わなくてもいい。
先日、唐突に自分のストレスが溜まっていることに気づきました。地味にね。育児ってそうですよね。
そんな中でInstagramとか見てしまうと、DINKSの友人のキラキラした感じに目がやられてしまう訳です。同時に心もやられています。ぐぬぬ。
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ある夜、唐突にスマホのメモに「私のしたいファッション」と題し、書きなぐっていた言葉があります。
好きなモノ・興味のあるモノ・価値のあるもの ≠ 身に着けるモノ・買うモノ。
友人を羨む前に、自分が本当はどうしたいのか。何を着て、何をしたいのか。そういう願望にちゃんと目を向けようと思ったのです。そんな時に出てきた言葉でした。
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私は昔から、かなり好きなモノに幅がある子供でした。中学時代にも友人から「あなたはもうちょっとファッションの系統を絞った方がいい」と言われたことがあります、懐かしい。しかしその指摘を無視して生きてきた私。
具体的には、伝統工芸品です。日本の伝統(七宝、漆、ガラス、組み紐、寄木細工、織物……etc.)にとどまらず、海外の伝統(パレスチナ、アフガニスタン、バロチ、タイ、ブータン、インド、インドネシア、中国……etc.)もそう。愛が止められませんでした。
「可愛い!」「素敵!」「すごい!」と思ったモノは、欲しい。ただ見るだけでなく身に着けたい。そう思って、買っていました。そして買ったモノはちゃんと身に着けていました。決して死蔵する訳ではないのです。むしろ死蔵しないように、普段使いできるように、買う時に選別していました。
もしかしたら自分の中で、「”伝統工芸品が好きな私”という他人へのアピール」や、「買うことによって”好きだ”ということを表明している」という意識があったのかもしれません。
でも、「私のしたいファッション」に、それらはありませんでした。好きだけれど、なかった。
今後自分がどうありたいのか?どういう服を着て、何を持って生きていたいのか?と考えた時に。確かに伝統工芸品系は好きなんだけれど、そんなにウェイトを占めていなかったのでした。むしろそれでブレたりするのは、イヤかもしれない。
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好きなモノは、買わなくてもいい。
好きなモノは、心の中で好きなだけでいい。
伝統工芸は、買うことによって作り手にお金が行き、文化が守られます。そういう保護的な気持ちもどこかであったんだと思う。でも、今の自分がそこじゃないと思っているなら、離れてもいいはず。
もちろん、伝統工芸以外にも、純粋に好きという気持ちで買うアイテムはあります。それが自分が本当に身に着けたいものなのか、心の中で好きなだけで十分なものなのか。その点をよくよく問うてみて買い物をしていければいい。
という訳でちょこちょこ持ち物の見直し&入替をしていこうと考えています。大幅に持ち物を見直して整理していきたい。それで自分が前向きになれるなら、いいんじゃないかな。と育児の合間に決意を新たにしました。30代になって、今後の自分をちゃんと自分で決めていきたいと感じています。まとまりない文章ですが、そんな感じの今日この頃です。