おうちのモヤモヤ退治

余白がほしい

モヤモヤを退治したくて。家や服のことなどを。

一生モノと、変わらない自分

一生モノ。未だにこの言葉には心揺さぶるパワーがありますね。東京事変のお歌でも「貴方は私の一生モノ」なんて素敵な歌詞が出てきて、もうメロメロです。

 

過去にも何回か言及したことがありましたね。

itgreco2.hatenablog.com

 

itgreco2.hatenablog.com

 

 

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今回、もう一度だけ、この一生モノについてブログを書いてみようと思ったのです。きっかけはTwitterで見た言葉でした。

 

最近は現行品が1番で「今」は常に更新されていくから

一生ものとか上がりの服とかもう全然欲しくない

明日出会う服に魂を撃ち抜かれてもすぐにそれを上書きする服が出るし

自分の心情もアップデートされる

大事にしてる1着もあるけどそれは結果であって

初めからそんな予感とともに服なんて着たくない 

 ー多久治(@tkjWonderwall)

 

ちょっとツイッターの貼り付けがうまくできなかったので、そのまま引用させてもらいました。

 

この言葉を読んだ時にね、なんだかズキュン!ってきたんです。「これは自分の一生モノだ!」と断定するのがちょっと怖いと思ったのです。勿論手に入れるタイミングでは「これがベスト!大好き!」なのはいいんですけれど。

 

もし私が50代60代で。ライフスタイルや趣味趣向が固定されているならいいのかもしれません。「これが私だ、これが私の人生だ」って、言い切れるならば。

 

でもまだ30代頭の若造が、アップデートすることを放棄して「私変わらないんです」って宣言するのは、なんだか勿体ないというか、浅ましい気がしてしまいました。

 

勿論、自分のスタイルを確立されている方っているし、それはそれでとても素敵で。憧れるのですけれど……むぅ、今の私には、まだ早いのではないかな?

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時代はSDGsでサスティナブル。同じ物をずーっと長く大切に使う生活は、丁寧な暮らしは、とても美しいです。私も20代の後半の頃、そういう生活をしたいと思っていました。

 

その時の私は、色々と蓋をしていた気がする。自分の欲望を見ないふりして、自分は静かな暮らしを、穏やかな暮らしをしたいんだって。半分は本当。古いモノ、受け継がれる伝統は本当に魅力的で、それを纏いたかった。でも半分位は、きっと繕っていた。

 

でも、もうちょっと欲張ってもいいんじゃないか30代。

 

だってほら、自分の蓋開けてごらんなさいよ。黒いレザーのライダースが着たい、マーチンのブーツが履きたい、ロックでメタルな音楽が好き、キラキラしたファッションが好き……ほら見ろ!どこにも穏やかな要素がないじゃないか!

 

世の中、本当に美しい生活をしている方々が沢山いらして。そういう情報は雑誌だったり、ブログだったり、SNSだったり、色々入ってくる。「こういうのがセンスいいよ」「こういうのが楽だよ」「とても穏やかな日々だよ」。そう教えてくれる。それをヒントに、私もスリムな生活がしたかった。

 

でも、きっと分かっていたんです。その美しい生活は、今の自分に本当の意味でフィットしたものではなかった。私はそんな、欲を洗い流したような、悟りを開いたような生き方にはまだまだ程遠い。

 

 

***

 

いつかはなれるかな、ブレることなく、悟ったように穏やかな生き方。ただその前にはもっと乗り切らなきゃいけないことが沢山あって。なんなら経験した方がいいこと、実現して体感したいことがまだまだ私には多すぎるようです。それを無視しての「一生モノ」では、本当に浅はかな「一生モノ」になってしまう。

 

振り返った時に、結果として「一生モノだったなぁ」なら花マル。でも最初から「これはきっと一生モノ」だなんて思うのは止めて、もっと色々チャレンジしてみよう。そういう30代を送りたいと思いました。全くまとまりのない記事になってしまって反省ですが、今そんな心境です。