「誰から貰ったのか、忘れた」にびっくりした話。
「これを買ったのはどこのお店で」とか。「一緒にいた人は誰で」とか。「その時にこれと違うので悩んだけれど、こういう理由でこっちにした」とか。「お店の帰り道にこういう家があって、それを見てこう思った」とか。
そういう、割とどうでもいいようなエピソードを延々を忘れずにいます。変なところに海馬が働いている。大切な事は忘れちゃうんですけれどね。夫は対照的で、そういうのを全て忘れるタイプです。別に困らないしね。
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先日夫のクローゼットから香水が発掘されまして。
(シャネルやん!スーツの男性がつけていそうな香りでした。)
多分大学生の頃に貰った、と言いました。「私と会う前に付き合ってた彼女から貰ったやつ?」「いや友達じゃないかな」「いやいや、普通友達に香水プレゼントしないって」「えー、いやその彼女ではない」「じゃあその前に付き合ってた女の子とか?」「うーん、忘れた」
忘れた? 香水を、誰から貰ったのか、忘れた?
照れ隠しかと思ったので、後日改めて「彼女かどうかとかじゃなくて、誰から貰ったかのか本当に覚えてないの?」と聞いたら「本当に覚えてない」と宣いました。
えー?
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冒頭にも書いた通り、私はそういうのを忘れないタイプです。モノを見ると、勝手にエピソードが出てきちゃう。いつ、誰から、どこで貰って、その時相手がどんな話をしていたかまで。もはやストーリーですね。
だから、捨てるのに躊躇してしまう。
でも夫には、たぶんそういうストーリーがない。勿論貰った瞬間やしばらくは覚えてるだろうけれど、時が経てば忘れる。ストーリーがなければ、執着も罪悪感も何もないから処分しやすい。
よくプレゼントは貰ったタイミングが最大価値だと言うけれど、それをナチュラルにやってるのが夫なんだろうなぁと思います。羨ましいような、あんまり羨ましくないような……。
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私自身は、まぁ今のままでいいや。ただ思い出はさておき、モノ自体に純粋に向き合って要不要をジャッジできるようにしていきたいです。
親から貰ったものを、昔とは違う理由で処分しづらくなってきたし、子供のものなんてストーリーの塊でしかない。これから特にそういうのが増えていくと思うのです。
でも、生活が圧迫されるのならば。自分にとっての優先順位を大切に。モノにも自分の人生にも向き合っていきたいと思うのでした。いやー、しかし本当に夫にはびっくりしました。