父がなんだか小さく見えた日の話。
親からしたら子はいつまでも子。同じように、子からしたら親はいつまでも親です。関係性は勿論そうとしても、なんだか年齢については、どこかで時計の針が止まってしまい、そしてあるタイミングで、遅れた進みを取り戻すかのように急に猛スピードで進む……そんな気がしています。親が急に老けてしまったように思える現象。それを実感した事があったので、自分のために書き残しておきます。
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私の父親は現在67歳。新卒で入社した会社(学校)を定年まで見事に勤め上げ、なぜか66歳で退職しました。片付けが終わらなかったらしいです笑。
定年後はやりたいように生きる!と張り切っていた父でしたが、そんな折に去年訃報が入りました。大学時代の友人Yさんが亡くなったのです。
Yさんは父の大学時代の恩師繋がりの友人で、父親よりも3・4歳は年下でした。私も高校生位までは毎年お正月にお会いしていました。とても若々しく溌剌としていて、どこか少年のように好奇心でキラキラした目をした方でした。
ちなみにこのお正月の集まりは恩師・恩師の奥様・父・Yさん・Iさん、その家族らがメンバー。恩師は私の記憶にもない昔に亡くなり、奥様も数年前に亡くなり、Iさんも10年近く前に亡くなりました。残っているのは父だけになりました。
父はこのYさんの逝去にとてつもないショックを受けていました。自分より年下で、早期退職後に次の仕事も決まっていたYさん。闘病中もずっと論文の執筆を続けていて、その眼は最期まで好奇心で燃え続けていたそうです。そのYさんが亡くなった。
自分だけが残されて、自分だけが生きている。
父と2人で話した時に、父は何回も「なんであいつか先に死ぬんだよ」と心底信じられないように呟いていました。私は紅の豚のポルコ(マルコ)の名台詞「いい奴はみんな死ぬ、友へ」を思い出していました。
(人生で1番繰り返し見ていてる映画。何度だって最高。)
私が実家を出て丸10年。その月日の流れの中で、父は定年退職した。毎日80km運転していた車にほとんど乗らなくなった。ウォーキングや市営のジム通い始めた。毎日クラシックをかけ本を読みながらエアロバイクに1時間乗るようになった。部屋の底を抜きそうな大量の本を少しずつ処分し始めた。娘が結婚した。義理の息子ができてお義父さんと呼ばれるようになった。孫が生まれておじいちゃんになった。2人目の孫も生まれた。じぃじと呼ばれるようになった。食べる量が減り、昼食には謎の蒟蒻麺を食べるようになった。もともと薄めで気にしていた髪も白くなり減った。痩せたけどお腹は出ている。なんだかすり足で歩くようなって母に注意されるようになった。自分の父親が亡くなった歳を超えた。
そう、歳をとったのだ。その中で、友を失っていく。
人は老いる。その中で思い出や経験は増えていく。同時に無くすものもある。この喪失が、寂寥が、父を小さく見せました。
これからもこういう事は増えていきます。幸い私の叔父叔母や伯父伯母は全員健在だけれど、死ぬのは人間としての定めだからしょうがない。親の老いを痛感した事は、きっと私の中で大きな意味のある事でした。
これからも小さくなり続ける父を母を、今までとは違った角度からも見つつ、それでもいつまでも甘ったれで子供でいる自分がいます。親としても「子育て終了、ゆっくりさせて」という気持ちと「それでも頼って欲しい」という気持ちが混在している事でしょう。そのまぜこぜで割り切れない感情をお互いに抱きつつ、生きているうちは親子であり続けるのです。まとまりないですが、この辺で。