おうちのモヤモヤ退治

おうちのモヤモヤ退治

余白がほしい

モノは記憶を呼び起こす装置、な話。

止まらない止まらない。1歳児の破壊が止まらない。大抵の場合はなんとかポジティブに置換してきましたが……そうもいかないモノがありました。

バッキバキに破壊された扇子。


早朝から仕事に出かけた土曜日。帰宅して寝室に行ったら敷布団の上で私の足に刺さりました。よく見てみると、扇子の破片でした。この青緑の扇子は、私が大学生の時の家族旅行で行った清水寺の参道裏のお店で、母親に買ってもらった大切なものでした。流石にポジティブに捉えられなくて、大泣きして、にいこにぬいぐるみを投げました。大人気ない。でも大切なものだったんです。


「扇子なんてまた買えば良いじゃん」「モノはいつか壊れるんだよ」「そんなに頻度高くないんだし、無くてもいいんじゃない?」


そうじゃ、ない。


***


親鸞』の筆者の五木寛之さんが、『捨てない生き方』という本の中で「モノは記憶を呼び起こす装置」と書いていました。モノを依代にして回想するのだと。思い出のものを捨てられないのはひとえにこれですね。


ミニマルに生きようとした時に「本当に大切な思い出ならばモノがなくたって思い出せる。大切なのはモノではない」と、そういう気持ちになって奮起する時は多いです。


それでも、この扇子の香りを嗅ぐと思い出される思い出があって。この色と手触りで思い出される会話や感情や景色があって。地味に継続中だった反抗期のほろ苦い記憶。そんなに特別でなくても、いつでもあの時にタイムスリップさせてくれるこの扇子とは、消耗しきるまでは共にありたかったのです。まぁもうバッキバキで修理できないから捨てましたけどね!


思い出のものは、親族や他人に迷惑かけない程度の量なら捨てる必要はない。極端に全部捨てるでも全部捨てるでもなく、いい塩梅で生きていきたいなと思います。