明日死ぬ、と仮定してみる。
明日死ぬとしたら、どうします?
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私の大学時代のゼミの先生はちょっと変わり者だと評判でした。物事を見る視点がいつも我々の想像を超えていて、話していてとても面白い先生でした。……まぁその先生から変わり者扱い受けてましたけどね私。
さて、そんな先生との会話の中で忘れられないエピソードがあります。先生の部屋を訪れた私に、先生は唐突にこう言いました。以下ざっくり。
「昨日スティーブジョブズのスピーチ聞いてさぁ、いやーなんか考えさせられちゃったんだよね。もし明日死んだらどうしようって。もしもだよ?もしも僕が明日死んだとしたらさ、僕のやりかけのことを遺された人たちがちゃんと分かるようにしておかなきゃダメだよね。どこまで研究が進んでるか、とかさ。」
本当に唐突でした。それがあったからかどうかは定かではありませんが、先生の机はいつもよりきれいに整頓されていました。
自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。本当に大切なことしか残らない。自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです。
もう10年も前のエピソードです。けれど胸に残っていて。会社では「明日休んだら」「急に早退しなくちゃいけなくなったら」「車に轢かれて死んだら」と考えつつ、他の人にも進捗ややり方が分かるように心がけています。あと整理整頓……本当に整理整頓ができてない人が休んだ時って大変なんですよね、締め前とか特に。
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明日死ぬ、と仮定して。
遺された人にちゃんと分かるようになっているか。処分するのが大変なモノや量はないか。本当にそれは、手元にあった方がいいものなのか。
31歳の私には、まだ終活は早いかな。子供もまだ2歳&0歳だし。でもいつだって終活していてもいい気がします。少なく、ポジティブなものだけ持って、分かりやすいように暮らす。そんな生活に、憧れます。
今日はなんだか抽象的な記事になってしまいましたので、この辺で。