おうちのモヤモヤ退治

余白がほしい

モヤモヤを退治したくて。家や服のことなどを。

「ブランド物は単なる見栄だった」人は。

ブランド物を買うのはただの見栄だ、と言う人がいます。何百枚の服を減らした人のInstagramの投稿で、よく目に入ってきます。「見栄を捨てた」とか、「あの頃はただ見栄を張っていただけだった」とか。

 

でも、ブランドってそれだけなのかしら。この手の投稿を見かけるたびに、ずっとモヤモヤしていました。

 

人がブランド物を買うのには、色々な理由があると思うのです。ブランドのお店で買い物する瞬間が1番幸せな人。その服やカバンを持つと背筋が伸びたり嬉しい気持ちになる人。ブランド物を着て武装する人。ブランド物を持つ事でお洒落と思われたい人。その服のパターンや素材・技術を賞賛する気持ちで買う人。ブランドへの応援の意味を込めて買う人。

 

もしもブランドの持つ「高級そう」「高くていい物」「オシャレな人」といったイメージ……世界観というよりも他者からの評価が重要だったのなら、確かに転じて見栄と言えるのかもしれません。でも過去の自分を見栄張っていたで表すの、ちょっと寂しい。

 

他人軸と言ったらネガティブですが、ポジティブに表すと自己プロデュース力のある人なんだと思うのです。「自分をこういう人に見せたい」という強い気持ち。

 

ライフステージや心境の変化で、外見に自己プロデュースが必要なくなったというだけのこと。その服やカバンは不用となって断捨離の対象となるのは当たり前。それは単に自分が次のステップに進んだということで、同時に過去を貶める必要はないんじゃないかなーと思ったりします。

 

勿論ブランド物はお金もかかるし、「一生モノ」と言い聞かせて清水の舞台から飛び降りたなら「無駄だった」と後悔する面もあるでしょう。いや、でもそれは完全な無駄じゃないはず。その時期が経験があったからこそ、実態を伴って今のその心境の変化に至ったはず。ブランド物は単なる見栄だったなんて、そんな寂しいこと言わないで。