ベーシックカラーが似合わなすぎてパーソナルカラーを思い知った話。
先日ほぼ10年ぶりにスーツを新調しました!内勤だけれどゆるゆるなオフィスカジュアルなので全然着ていなかったのですが、去年辺りから来客対応(しかも銀行とか証券会社)が増えてきたため、思い切って購入に至りました。
白とかグリーンとかのノーカラーでカジュアルなのもいいな〜と思っていたのですが、この辺りって結構着丈が長めなリラックスな雰囲気なものが多くて。小柄な私にはちょっとバランスが微妙な気がして却下しました。そうなると選択肢はベーシックカラーのスーツになります。黒、ネイビー、茶色、ベージュ、グレー。
黒は好きだけれど、リクルートっぽくなったら嫌だから却下。茶色はちょっと重い雰囲気になると嫌だなぁ……。
そこで候補に挙げたのがネイビーです。普段着ない色だけど、爽やかな感じもする万能カラー。使い勝手も良さそう。ネイビーのスーツ着てた後輩可愛かったしね。というわけで揚々と試着室で上下着てみました。すると、
驚くほど似合わない……。
え?何々?すごく似合わない!スーツ全く似合わない!なんかスーツだけぱりっとして私と全くマッチしてない!私の顔ぼやぼやで髪色(※黒髪に一部インナーにアッシュ)ともチグハグ!うえええ、こんなふざけた髪色でスーツ着るなよ社会人としての心得がない的なことなのか???えええ???
あまりの衝撃に立ちくらみしつつ、しょげました。すごく似合わないってやばくない?ダメだ他の店を探そう……。でもせっかくだし他のも試着だけでもしてみようとなんとか思い留まりました。
次に手に取ったのはベージュに細かく茶色の千鳥柄の入ったスーツです。できるキャリアウーマンみたいな雰囲気が漂い、キャリアないウーマンとしては似合わなそうなスーツでした。まぁ色合わせだけでもと思い試着。すると、
すごく似合ったのです。
スーツだけが浮かず、ちゃんと私の顔がありました。髪色も弾かずにマッチし、仕事ができるかはさておきそれっぽい雰囲気がちゃんとありました。というわけで即決してお出迎えしました。そう、スーツが似合わないのではなく、ネイビーが似合わなかったのです。
(グレーにも見えるけど茶の千鳥格子)
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パーソナルカラー、という概念がありますね。春夏秋冬に例え、肌色や瞳の色、髪色なんかでジャッジし、似合う色やトーンを教えてくれるものです。私はプロの診断を受けたことはありませんが、なんとなく経験則から秋(イエベのオータム)かなぁと思っています。
でも私の好きな黒や鮮やかな色は冬(ウィンター)に似合うとされているものが多く、パーソナルカラーで判断すると悲しくなってしまうのであまり考えないようにしていました。事実ほぼ毎日黒着てるし。
今回劇的に似合わなかったネイビーは、冬です。そして似合ったベージュや茶色は、秋です。はい、パーソナルカラー診断通りですね。「ベーシックカラーは誰にでも似合う♪」な訳ではありませんでした。スーツは襟も生地もしっかりしているので、尚更強調されたのかもしれません。
勿論、顔から離れているボトムスや小物で使うにはありなのでしょう。パーソナルカラーに振り回されて好きな色を回避する必要は全くありません。ただトップスはベーシックカラーといえどちゃんと鏡で合わせてから決めた方がいい。本当にその事を痛感したスーツ選びでした。
父がなんだか小さく見えた日の話。
親からしたら子はいつまでも子。同じように、子からしたら親はいつまでも親です。関係性は勿論そうとしても、なんだか年齢については、どこかで時計の針が止まってしまい、そしてあるタイミングで、遅れた進みを取り戻すかのように急に猛スピードで進む……そんな気がしています。親が急に老けてしまったように思える現象。それを実感した事があったので、自分のために書き残しておきます。
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私の父親は現在67歳。新卒で入社した会社(学校)を定年まで見事に勤め上げ、なぜか66歳で退職しました。片付けが終わらなかったらしいです笑。
定年後はやりたいように生きる!と張り切っていた父でしたが、そんな折に去年訃報が入りました。大学時代の友人Yさんが亡くなったのです。
Yさんは父の大学時代の恩師繋がりの友人で、父親よりも3・4歳は年下でした。私も高校生位までは毎年お正月にお会いしていました。とても若々しく溌剌としていて、どこか少年のように好奇心でキラキラした目をした方でした。
ちなみにこのお正月の集まりは恩師・恩師の奥様・父・Yさん・Iさん、その家族らがメンバー。恩師は私の記憶にもない昔に亡くなり、奥様も数年前に亡くなり、Iさんも10年近く前に亡くなりました。残っているのは父だけになりました。
父はこのYさんの逝去にとてつもないショックを受けていました。自分より年下で、早期退職後に次の仕事も決まっていたYさん。闘病中もずっと論文の執筆を続けていて、その眼は最期まで好奇心で燃え続けていたそうです。そのYさんが亡くなった。
自分だけが残されて、自分だけが生きている。
父と2人で話した時に、父は何回も「なんであいつか先に死ぬんだよ」と心底信じられないように呟いていました。私は紅の豚のポルコ(マルコ)の名台詞「いい奴はみんな死ぬ、友へ」を思い出していました。
(人生で1番繰り返し見ていてる映画。何度だって最高。)
私が実家を出て丸10年。その月日の流れの中で、父は定年退職した。毎日80km運転していた車にほとんど乗らなくなった。ウォーキングや市営のジム通い始めた。毎日クラシックをかけ本を読みながらエアロバイクに1時間乗るようになった。部屋の底を抜きそうな大量の本を少しずつ処分し始めた。娘が結婚した。義理の息子ができてお義父さんと呼ばれるようになった。孫が生まれておじいちゃんになった。2人目の孫も生まれた。じぃじと呼ばれるようになった。食べる量が減り、昼食には謎の蒟蒻麺を食べるようになった。もともと薄めで気にしていた髪も白くなり減った。痩せたけどお腹は出ている。なんだかすり足で歩くようなって母に注意されるようになった。自分の父親が亡くなった歳を超えた。
そう、歳をとったのだ。その中で、友を失っていく。
人は老いる。その中で思い出や経験は増えていく。同時に無くすものもある。この喪失が、寂寥が、父を小さく見せました。
これからもこういう事は増えていきます。幸い私の叔父叔母や伯父伯母は全員健在だけれど、死ぬのは人間としての定めだからしょうがない。親の老いを痛感した事は、きっと私の中で大きな意味のある事でした。
これからも小さくなり続ける父を母を、今までとは違った角度からも見つつ、それでもいつまでも甘ったれで子供でいる自分がいます。親としても「子育て終了、ゆっくりさせて」という気持ちと「それでも頼って欲しい」という気持ちが混在している事でしょう。そのまぜこぜで割り切れない感情をお互いに抱きつつ、生きているうちは親子であり続けるのです。まとまりないですが、この辺で。
梅雨走りと寒暖差とルパフィンの話。
梅雨入りはまだ先な東京も「そんなの言葉だけの問題じゃん」と思わせてくれる梅雨走り。寒暖差も激しくなり、天候不順で湿度も上がり、自律神経もガタガタな5月です。
そう、自律神経がガタガタ……。
私は鼻炎アレルギー持ちです。以前受けた検査ではハウスダストがどかーーんと伸び、次いでスギヒノキ系が出ていました。まぁメインはハウスダスト。ただ自分の中では、ハウスダストもさることながら俗に言う「寒暖差アレルギー」要素も強いと思っています。要は自律神経失調で、寒暖差さ湿気などでやられるやつです。ひ弱。
諦めて耳鼻科でお薬貰ってきました。ルパフィンを2ヶ月分。眠いけど2錠飲むとよく効きます。ステロイドのセレスタミンには敵わないけど次点位には合っていました。
(割と新しいお薬。区分的には第二世代のアレルギー薬です)
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さてこの寒暖差アレルギー。詳しく調べて見たら血管の収縮がうまくいかないのが原因らしい。さらに寝起きで鼻水が出るのを「モーニングアタック」と言うそうです。寝ている間は副交感神経が優位なのが、起床すると交感神経優位に切り替わり、血管収縮が起こる。この時一時的に自律神経のバランスが崩れて、鼻が刺激に過敏になる、のだと。
対策としては朝に目が覚めた時にすぐ布団から出ず、しばらくは手をにぎにぎしたり、布団から足を出したりして、徐々に体を慣らすのが有効だそうです。にぎにぎ。難しいわね。
お薬なしで生きられるのがいいとは分かりつつ、それでもやっぱり私には必要な鼻炎薬。粘膜が丈夫になり自律神経が整うのを祈るばかりです。