少食だった私の、ちょっとした罪悪感と胃もたれの話。
育児は闘いである。その闘いの中で、1日のうち1番の闘いはいつかを考えると、我が家の場合は夕飯です。食べない。とにかく食べない。
なんなら遊び始める。席を何度も立つ。皿の食べ物を机の上に置いたり床に落とす。コップのお茶を必ずわざとひっくりかえす。コップやスプーンで机を叩き続ける……なんてストレスフル!
いや、多少の差はあれきっと育児をしているとよくある光景でしょう。自分だってきっとこうだったはず……。
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自分の子供の頃。遊び食べをしていたかはともかく、とにかく食べない子でした。「子供の頃」と表現していいのかわかりませんが、少なくとも小学生時代まではそう。お残しが許されない時代、給食の時間にも昼休みにも食べ終わらず、掃除のために机が前に移動されてもその隙間で食べ続け、掃除の時間の直前になってようやく「片付けてきなさい」と免除される。
中学に入学してようやく食べるようになったものの、中学2年の春の身体測定で体重の増加にぎょっとし、以降また食べなくなりました。私の生育はここで止まりました。運動能力や知能の発達はクラスでもトップクラスだったんですけどね。
寝ない・食べない・低身長。フルコンボな私は、特に母親にとっては悩みだったことでしょう。
(ビュッフェ形式の朝食は、これにパン位。朝は基本食べられないレベルの人間なので、これでも食べてる方)
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そんな少食の極みな私でしたが、出産後はとにかく食べました。食べないと乳が出ないですからね。実家に1ヶ月居たことも大きいですが、食べる→胃が大きくなる→食べる→胃が大きくなるの繰り返しで、私の食欲は大柄な夫並みになりました。とにかく食べていた。
そんな私を見てね、母親はとても嬉しそうでした。「こんなに食べてくれるの初めてだからお母さん嬉しくって」と口に出して言われました。
「食べてくれると嬉しい」
この「食べると母親が喜ぶ」と「残すと勿体ない」が合体した結果、私は帰省のたびにお腹パンパンで苦しむことになりました(先日はかき揚げもプラスされて胃もたれコース……)。60歳オーバーの両親の2人暮らしですから、私が残すと廃棄されてロスですからね……。
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娘たちが30歳を超え、なんなら孫も生まれている。それでも母親はずっと母親で、娘たちはいつまでたっても子供なんでしょう。もうそろそろ授乳も終わるし、食べる量を減らしにかかる私ですが「もう前みたいにたくさん食べられないよ」とは、まだ言いづらい。「食べてくれると嬉しい」というあの心からの笑顔付きの母親の台詞は、悲しいかな呪いのように元来少食な私を縛るのです。私の娘たちが大きくなって、たくさん食べてくれるようになるその日まで。