おうちのモヤモヤ退治

余白がほしい

モヤモヤを退治したくて。家や服のことなどを。

片付けられない実家と、課題の分離。

先日、お義母さんが新生児に会いにきてくれあした。実家まではるばるです。滅多に来客がない実家ですので、母が盛大にお片付け祭りをしていました。お客様は掃除機、です。私の座右の銘です(笑)

 

 

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正直に言うと、私は義母が実家に来ると言った時、とてもイヤでした。もうね、「やめてー!断ってー!なんでいいって言ってるのー!」という心の叫び。

 

恥ずかしい、って思ったんですよね。モノが多く散らかった家。おかげで積もった埃。片付けられない家族。思っちゃった、というかずっと思ってたんでしょう。

 

これは、俗に言う「汚屋敷」出身者は、少なくとも「汚屋敷」と認識している人なら、持つことのある感情でしょう。汚い実家を見られるのがイヤだって。

 

でもこれって、「汚い実家を見られるのがイヤ」というより、「私も一緒に片付けられない人と思われるのがイヤ」という部分もなんでしょうね。

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前にちらっと聞きかじった、アドラー心理学。その中に「課題の分離」というものがあります。

 

困ったこと(=課題)があった時、「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」を考え、誰の課題かを明確にし、自分の課題だけに取り組む、というものです。相手の課題なら、踏み込まない。

diamond.jp

 

ちゃんと学んだ訳ではないので間違っているかもしれませんが、今回の「義母に片付いていない実家を見られるのがイヤ」について考えてみます。

 

「実家が片付いていない」と「”片付けできない家族”と義母に思われる」という2つの課題に分けてみます。

 

「実家が片付いていない」のは、うーん、もう実家の問題ですね。家を出た私には関係ない(将来的には関係してくるかもしれないけれど)話ですね。よし、これは私の課題ではない!

 

「”片付けできない家族”と義母に思われる」のは……まぁ家族が片付けできないのは確かだけれど、片付けできないのは家族であって私ではないし。義母もそこは切り離して考えてくれるだろう。よし、これも私の課題ではない!

 

とりあえず私の課題ではないので私が気をモヤモヤする必要もないし、実家の課題に干渉するのも止めた方がよいですね。

 

 

 

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こうやって課題を分けてみると、自分がどうこうできるものでもないから、いいやって。私の課題じゃないから、いいやって。恥ずかしいと私がヤキモキすることはない。気が楽になりました。半ば自棄のような、諦めのようにも思える話ですけどね。

 

と色々書いてみましたが、実はアドラー読んでないんですよね私。以前NHKの名著紹介番組で見たくらいです。今度時間があったら読んでみようと思います。

 

嫌われる勇気